「スクールウォーズ?なにそれ?」
奥さんが観たことがないということで。
昨夜、完結しました。
途中いろいろとツッコミながら観ていたものの、奥さん最後は泣いておりました(笑)
たぶん、ワインとウイスキーが利いていたのでしょう。
なんだかんだ、今観ても面白い。
時代背景もそれもまた良い。
「え、この人も死んじゃうの!?こんなに人死ぬドラマある⁉やっぱり昔は死が(死の存在が)近かったのかなぁ??」
と言っておりました。
今は一部SNSでも「死ぬ」を「●ぬ」と書いたり、「ピー音」を入れないとそれもアカBAN対象となりかねない。
だからYouTubeでもほとんどの人がそのように対応している。
死というものはそんなにも遠ざけなければならない存在なのか。
見て見ぬフリをしなければいけない存在なのか。
甚だ疑問です。
私が5,6歳の頃のドラマですが、当時はまだ死は遠ざけるものではなく、見つめるものだったのかもしれません。
生と死は紙の表裏と一緒で、死のない生はない。
でも今は社会が生きることばかりに囚われ過ぎている。
長生きするこに価値を置き過ぎているように思うのだ。
誤解を恐れず言うならば、長生きすること自体にそれほど価値はない。
長生きに価値があるなら、幼くして亡くなってしまったら価値がないかのようになってしまう。
そんなハズはないのだ。
人間の死は、自分に与えられた生を全うしたのかどうかだけが問われているのだ。
スクールウォーズでも若者が逝ってしまうわけだが、それぞれに生を全うしているから涙が出るのだ。
我々の生きる現代は、その点自分で気づき、制御できないと、生をまっとうしづらい世の中とも言える。
楽に甘んじ過ぎることを制御できないと、ただただ楽な方へと流されるだけの生になり兼ねないのだ。
それくらい今は、「楽ですよ」「こっちのが得ですよ」「これしておかないと将来困りますよ」と得体の知れぬモノがいつの間にか忍び込んで来る世の中なのだ。
「思いやり」や「隣の人のために」など、この数年散々言われていたが、そういう一見聞こえの良い言葉や反論しづらい言葉を利用して民主主義が全体主義になり替わった。
これも表裏一体なのだ。
あの人もそうだから。
あの人が言うから。
周りのために。
周りがみんなそうだからお前もやれ。
みんながみんな、キョロキョロしている時代だ。
なにも考えず、ただ世の中の流れに沿う方が楽なのだ。
それが人間というものだから仕方がないわけだが、「仕方ない」で割り切ってしまうのは流されている方が楽だからなのだ。
損得なのです。
「やっといた方が得だ。」
「無料だから今のうちだ。」
そうやって動いたものは、大抵は「同時に損も掴む」のが世の中なのだと心得ておきたい。
すべて表裏だからだ。
死を見つめない限り、自己固有の生は掴めない。
自分が何故、今生きているのか。
やはりそこには今自分にしかできない役割があるからなのだ。
なにも特別なことではない。
私にとっては、今こうして書いているコレもそうだし、9時からの整体施術もそうなのだ。
もっと言えば、昨日トイレットペーパーを買いに行った。
それだって私がやらねば、私も奥さんも困るわけだ。
役割は常に目の前にある。
その目の前のことを懸命にやり遂げていくしかないのだ。
将来のことばかりを憂い、不安だ不安だと言っていてもどうにもならないのだ。
「今ココ」に全集中すれば良いだけなのです。
そうやって生を全うするから、死も輝くのだ。
先日の師との食事会でも、「まず、今できることをすべてやろう。後悔のないように」というお話がありました。
そういうことなのだと、心得ております。
スクールウォーズから飛躍し過ぎたようにも思いますが…
奥さんの言葉から、「死の距離観」を感じたのであります。
P.S.
近年は「孤独死」という言葉もあるようですが、こんな言葉に騙されてちゃ駄目ですよ。
すぐにこのような造語で不安を煽るのが現代の特徴です。
死ぬ時は全員、誰もが孤独なの。
ひとりで逝くのです。
孤独ってそんなに悪いことでしょうか。
よく解らない奴と一緒にいるくらいなら、よっぽど一人の方が良い。
五反田の整体治療院 射水姿勢リフォーム IMIZU SHISEI REFORM
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