「物事を鵜呑みにせずに、自分で考えよう」と言っても、何をどこから考えたら良いのかが解らないという人は多いと思います。
そんな時に私が考えるのは、「子供の問い」です。
「お母さん、どうして信号の色って『緑』なのに『青』って言うの?」
「お父さん、どうしてリンゴってオレンジじゃないの?」
「どうしてリンゴっていう名前にしたの??」
いくらでも出てきます。
大人になっていく過程において、いつからか「解らないことを解ったフリ」をするようになるのです。
自分の身近なことに「問い」を持つことからやってみる。
セミナーではよく、「解らないことをノートに書き出してみると良いよ」と伝えるのですが、自分の身近には解らないことや、「答えなき問」がたくさん散らばっております。
たとえば、「どうして仕事をするの?」とか。
「どうして整体の仕事をしているの?」とか。
「姿勢ってなに?」「歪みってなに?」「整体されるってなに?」「治るってなに?」「どうして痛めるの?」…
自分の毎日当たり前にやっていることを、もう一度自分に問いかけてみると、「無限の問」があることに気づきます。
昨日の施術中にユキさんから、「先生は自分の調整ってどうしているの?受けに行ったりするの?」とか、「なにか運動するの?」と聞かれました。
基本、何もしていない(笑)
「逆立ちはするよ」と答えましたが、「前にも聞いたらその答えでしたね(笑)」と(笑)
「運動不足」ということが、もしあるのだとすれば、私は確実に運動不足です。
が。
じゃあ何をどこまでやれば、「運動不足ではない」と言えるのでしょうか?
そんな風に、「問い」にしてみるのです。
アレコレとノートに書き出した結果、私は自分のことを「運動不足」だと思ったことがないのです。
いまこうしてノートPCに向かっているコレも、運動だからです。
生きているということは、常に運動しているのです。
普段からフルマラソンを走っている人でさえ、「昔の人」と比べてしまえば「運動不足」と言えるでしょう。
我々は圧倒的に身体を使う必要のない時代を生きているからです。
ポイントは、「使う必要がない」ということです。
あえて走る(趣味でもストレス解消でも)のと、生活上必要不可欠で身体を使うのとでは、まったく違う「実の成り方」をする。
あえて走っている人はもちろん長く走れるようになったり、一定の体力も付くでしょう。
でも、生活上必要不可欠で身体を使うことが「生活そのもの」になっている人の身のこなしは得られないのです。
つまり、江戸から京都まで歩いていた時代の人の身のこなしは得られないのです。
あくまで、「走るための走る」なのです。
以前、筋肉隆々のプロレスラーがアフリカに行き、現地の人と共に生活をするという番組がありました。
アフリカでは小さい子供から女性まで、水汲みをして遠い距離を歩いて運ぶのですが、プロレスラーの人の方が先にバテバテになってしまいました。
手伝うどころではなく、足手まといになってしまったのです。
パワーだけを見れば、当然プロレスラーの方があるでしょう。
でも、ヒョロっとした女性が余裕な表情で重たい水を何往復も運んでいくのです。
「あえて」と「日常」では、「実の成り方」が違うのです。
それと似たような動画がYouTubeにあります(下にリンクしておきますね)。
若き日の魔裟斗さんが、走る民族タラウマラ族を訪ねていった番組です。ランナーは興味があるのでは??コーヒーでも飲みながら ^^) _旦~~
タラウマラ族と魔裟斗さん。
筋力は魔裟斗さんの方が圧倒的に強いハズですが、日常生活を体験してみると…
日常的に必要があり、「当たり前に身に付ける身のこなし」と、あえて身に付けた「闘うための筋力」とでは別物だと言える動画です。
面白いですよ。
https://youtu.be/NaewMBptrOQ?si=HEzgRP8wdk20thzw
現地の方の、「練習をしない」という言葉が物語っておりますね。
要は、走ることが日常なのです。
魔裟斗さんは、「体幹が鍛えられますよ」「トレーニングになってますね」と言っておりますが、我々は、「そういう受け取り方」をしてしまうのです。
思考の癖です。
そういう受け取り方に慣れている。
要は、日常と切り離して考えてしまう「思考の癖」があるのです。
いわゆる「体幹」なら魔裟斗さんの方が圧倒的に強いハズです。
現地の方は、練習もしていなければ、鍛えてもいないわけです。
そもそも鍛えている意識自体がない。
そこにあるのは、子供の頃から当たり前にしている日常です。
日常の中で自然と身についた「身のこなし」があるわけです。
そういう意味では、我々は徐々にこの「PCに向かうという身のこなし」を身に付けているとも言えます。
きっとこのタラウマラ族の方がPC業務を日本にきてやったら、1時間とデスクに向かってはいられないでしょう。
もしくは、開始数分で、物凄い疲労を感じるのではないでしょうか。
少々、「問いの話」から遠ざかったように思いますが、「運動不足って何だろう?」「どこからが運動不足ではないのだろう?」と問うことで、様々な見解が自分の内から出てきます。
赤ちゃんは、「自分が運動不足である」とか、「1日1万歩歩かなきゃ」とか、そんなこと考えません。
そもそも、「1日1万歩歩きましょう」って、誰から与えられた、誰の基準なのでしょうか??
言葉は悪いかもしれませんが、これも無自覚に作られた一種の「洗脳」なのです。
「問う」ことで、いつの間にか「常識が作られている」ということにも気づけるのです。
1日1万歩など、タラウマラ族からしたらどうでも良い話なのです。
まずは自分の身近なことで「問い」を見つけて考えてみる。
「仕事って何だろう?」から始めると、仕事の初心を思い出します。
「問う」ことは、子供の頃の純真に立ち返ることでもあるのです。
如何に思い込みに縛られて生きているか。
その縛りに気づけるのは、「問う」からです。
世間から与えられた解答を鵜呑みにしている限り、縛られ続けていると言えましょう。
歪みとは、思い込みのことです。
思い込みを如何に解きほぐすか。
身体が楽になるのは、思い込みから解放された時なのです。
五反田の整体治療院 射水姿勢リフォーム IMIZU SHISEI REFORM
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