※本日2本目のブログ更新です。
引き続き、抜歯後の痛みと向き合っております(笑)
ピークが過ぎたとはいえ、やはり痛いものは痛いです。
でも、この痛みもおそらく明日には半減し、明後日にはほぼなくなるのだろうと思っております。
身体というのは不思議です。
抜歯も一種の怪我ですが、その怪我も自然と治癒に向かうようにできている不思議。
傷めたと同時に(抜歯の最中から)、身体は治癒するために反応します。
炎症を起こしてくれるわけですね。
「炎症」と言うと悪いことのように感じますが、炎症自体に「善悪」はありません。
数日前のブログに戻るようですが、炎症も身体の恒常性を保つ一環ですから善でも悪でもないのです。
歯茎に空いた穴が塞がっていく不思議。
もともと備わった力があることの不思議。
「免疫力が~」とは言いますが、あくまで頭での知識的な理解であり、その治るプロセスを勉強しても尚、不思議であることには変わりありません。
どんなに学術的に治癒プロセスを学んだとて、この不思議さにはいつも感動させられるのであります。
私は良く冗談で、「最終的には、死ねば全部治るから」とセミナーで言います。
でもこれは本当にそうで、我々には死ぬ直前まで治り続ける力があり、最期は死という形をもってすべて治って逝くのです。
死して尚、「痛い痛い」と言っている死体をみたことがないでしょう。
安らかじゃないですか。
すべて治まるべきところに治まり、死を迎えるわけですね。
私たちは毎日死んでおります。
睡眠時の夢も見ていない時、つまり自分が生きているのか寝ているのかすら解らなくなっているその時です。
一種の死を、毎日体験してるのです。
「善く死ぬための練習」をしているとも言えるのかもしれませんね。
そう考えると、今日一日の有り難さが身に沁みてくる。
今日一日を本当に最後までやり切ったのかどうかを自分自身に問いたくもなる。
できれば毎日やり切って、毎晩の死を体験する方が良いのではなかろうかと。
死んでしまえば、永遠の休暇です。
毎日お休みですから。
いくらでもお休みになるのに、折角の生きている今ここで、休暇を楽しみに生きているのはどうも生き方を間違ってしまっているようにも思います。
消極的過ぎやしないかと。
死を想うと、もっと夢中になって目の前のコトに取り組もうと思えてきます。
よく解らない本も、もう一行だけ読んで寝ようと。
せっかくだから、もう一本だけブログになにか残そうかとも思えます。
私の師匠が以前、「ブログはいつか自分の子供たちが読むかもしれないから。親はこう思って生きていたんだと、子供が読んで感じるかもしれないから書きなよ」という趣のことを、セミナーでおっしゃっていたことがあります。
私は子供はおりませんが、それは素晴らしいことだなと思います。
私の親父はブログなどやっておりませんでしたから。
あったら読んでみたいもんなぁ(笑)
何を考えて生きて来たのだろうって。
今はこうして自分の想いや考えを発信することができる世の中です。
いろいろな意見があって良いわけですし、当然、同じ考えの人などいないのですから、何か自分の中に伝えたいことがある人は、どんどん発信すれば良いのだと思います。
ただ、その際は当然批判が来ます。
そんなことは当たり前であって、「反論は来ない」と思っている方がオカシイのです。
なにかを発信をするということは、同時に反対意見を貰うということでもあるのです。
そんなことをイチイチ気にしているのが間違いで、自分が本当に思っていることならば素直に綴れば良いのです。
それで反論を貰っても、「あら、あなたはそうなのね。なるほどね」だけです。
批判を恐れて何も言わない、常に周りをキョロキョロ伺っているのが、一番の卑怯者です。ドラマとかでもそうでしょ?
堂々としていれば良い。
どうせ分かり合えないのですから(笑)
それくらいが丁度良いのです。
今は、その反対意見を言えなくしている動きが世界中で強まりつつあります。
日本も然り。
意見を言えないことが、一番怖いことなのだと気づかないといけないでしょう。

ひとつの意見を善として、それ以外は悪として報道するのは、言ってしまえばファシズムですから。
ナチと変わらないコトが、ここ日本にもあるわけです。
多様性多様性言いますが、そんなものはもともと日本は多様性の国なのです。
じゃなきゃ八百万の神なんてあり得ないでしょう(笑)
それをできていないかのように今更騒ぎつつ、多様な意見は認めないのですからおかしなことです。
AもBもCもDもXもXAもXBもあって良いのに、「A以外は認めません」とバンされる時代に向かっております。

だからYouTubeでも、Facebookでも、世の中のほんの一部の人たちにとって不利な情報はバンされるようになりましたよね。
多様性とか言うならば、様々な意見、反対意見も当たり前に認めないとね。

世界はジョージ・オーウェルの予言通りの世の中になっております。
1984の世界では、全体主義のスローガンに、「無知は力なり」とあります。
政治家からしたら、国民が無知でいてくれたらどんなに楽か。
全体主義の政府は、「そのまま何も知らないでいてね」という感じでしょう。
無知であっても、「無知で良い」ということにはならない。
さて。
抜歯の痛みで話の収集がつかなくなってきました。
もう21時半を過ぎましたね。
奥さんはいまだにZOOMミーティングをしております。
よく働きます…
私はそろそろPCを閉じ、読書してから本日をしっかりと死のうと思います。
今日は抜歯のお陰で断食もできたし、イイ感じです。
では、お休みなさい。
また明日から、良い仕事をしましょう(^_-)-☆