ものごとを「善悪の二元論」で考えていると、身体が辛くなります。
つまり、人生が辛くなる。

私がまだカイロプラクティックの学生時代、「牽引は悪だ」「軸圧こそ善だ」ということが言われた時期があります。
あとは、「ボキッは駄目だ」とか。
これからそれを学ぼうとしているのに何を言うかと(笑)
学生である右も左も解らぬ私は困惑しました(笑)
皆さんが今後整体や治療を受ける際、「ボキッは駄目ですよ」「牽引は駄目ですよ」など、善悪論で来られたら、「ん?ちょっと待てよ??」と疑ってみても良いかもしれません。
もちろん私も、「今はストレッチは止めといてね」とお伝えする場合はございます。
それは、おかれている状況はもちろん、割合・度合・加減が大切なわけで。
あらゆるコトに言えるのですが、物事に善悪を付けているのは人間であり、本来、「起きる事象そのものには善も悪もない」と一歩引いた視点は持っておくことが大切です。
少なくとも、その方が大きな失敗は避けられます。
これってどうなんだろう?
そうやって一旦保留にして考える時間を持つことが、情報過多の時代における自己防衛手段と言えましょう。
今はお医者さんも二極化が極まっているのではないでしょうか。
ものすごく勉強しているお医者さんもいれば、大して勉強をしていないであろうお医者さんもいる。
本当に患者さんの声を聴き、患者さんの身体を思い、日夜研究しているお医者さんは、2割でしょう。
医療業界に限らず、あらゆる業界で2:8の構図は成り立つように感じます。
患者さんの顔色ひとつ見ず、カルテに文字を打ち込み、触知すらせずに、「はい薬出しとくね」「じゃあレントゲンね」だけのケースも多いでしょ?
あとは、すべて数値で判断するとかも同様です。
「数値は正常なので原因不明です」って。
数値というマニュアルが悪いわけではないのですが、数値が良くても顔色が悪ければやはり体調が悪いわけで。
ヘルニアでなくても、痺れていたらやはり何か痺れが出なければいけない状態なのです。
すべては、生活の中に答えはあるのです。
原因不明という解答を出すこと自体に、「ヤル気のなさ」を感じてしまいます。
たとえば、尿酸値も薬を飲めば下がります。

でも尿酸値は高くなる必要があり高くなっているのですから、生活を見直さなければ数値だけ正常値に収まったところで、その数値は何の意味もなさない。
むしろ、本来高いハズの数値を下げるのですから、必ず身体にエラーが生じてくる。
「病の転化」が起こるでしょう。
健康診断の前だけ生活を見直す方は多いですが(よく聞きますのでね(笑))、私ならいつも通りのままで受けに行きますけどね。
何なら、ほどほどならば、普通に酒も飲んで(笑)
その場だけ数値を良くても意味ないですし。
「普段通りの生活でどう出るのか」が解らなければ意味がないじゃないですか。
で、どんな数値が出ても、別に現状が元気なら再検査など無視して行かないでしょう(私はですよ)。
だって元気なんですから。
わざわざ病気になる必要がない。
数値上、再検査診断が下り、それが気になるなら生活を見直します。
あくまで私の病との向き合い方であり、考え方です。
ちなみに、私が最後に健康診断を受けたのは、柔道整復師の専門学校で受けさせられたのが最後かと思います。
今後も行く気はゼロです。
会社員の方は行かないといけないのですよね??
是非、いつも通りの(暴飲暴食の????)状態で受けてみて下さい(笑)
その方が、自己を省みることができますから(笑)
まぁ、半分は冗談として。
数値は参考にするものであり、数値だけで判断している時点で科学的とは言えない。
それは、「科学主義」であって、「科学という道具に使われている」のと同じことです。
「金槌に使われる人間」って、いないでしょ?(笑)
でもそれが医学や科学の分野だと簡単に起こっているのが現代なのです。
朝起きて、「今日はなんだか体調がイイな!!」と感じているその気分こそ、最大の科学的知見なのですよ。
今は、「科学的」を誤解している人が多いように感じます。
事実を事実として、そのまま見る、感じとる。
それこそが科学的な人の態度と言えます。
一時スパコン富岳で、クシャミや咳の飛沫を「見える化」しておりましたが。
飛沫度が何パーセント下がるとか上がるとか。
「感染度」ではないですよ。
そんな映像がよく流れておりましたが、「だから何?」と思って観ておりました。
あんな真正面から人の顔面目掛けてクシャミする馬鹿もいないでしょうし(笑)
「科学的に解析している」と言いたいのでしょうけれども。
正直、私はクダラナイと思って観ておりました。
別に富岳が悪いわけではないですよ。
その活用の仕方や、世の中への提供の仕方に、どうもメディアの(国の)「悪意」を感じてしまいました。
アレを観たら、隣の人がクシャミや咳ひとつしただけで目くじらを立てる人が出て来るのは必然ですから。
「無症状感染」などというデタラメな言葉も生れましたが、メディア情報を鵜呑みにしていると、気持ちがやられてしまいますからね。
ここはハッキリと書いておこうと思います。
世の中で何か騒がれましたら、一歩引いてその事象を見つめてみる。
「そもそも論」を考えてみる。

そもそも、「無症状感染」など言い出したら、世の中全員無症状の食中毒者が歩き回っているのと同様です(笑)
いまだから書けるけど、マスクにも善悪がありましたよね。
あれは本当にウザかった。
マスクをしてないと嫌な目で見られるというアレです(笑)
本当にしょうもない話なのです。
そもそも、数時間も着用すれば、マスク内など雑菌だらけです。
目に見えないだけ。
そもそも、ウイルスほどの極小レベルのものをマスクが防げるわけがないのです。
数百円の市販レベルのマスクで。

花粉症の私が言うのだから、間違いありません(笑)
花粉ほどデカイものすら隙間からバンバン入ってくるのですから。
一時期、美容室でもマスクをしたままカットしておりました。
終わるとマスク内に細かい毛がたくさん入っておりました(笑)
当時、「コレが最高の答えだな」と実感しました。
そもそも、マスクでウイルスを防げないことは、当初から医学会も解ったいたことです。
実際そう言われていたし、発表もあった。
でもある時から方針が変わりました。
「ソーシャル・ディスタンス」などという何の根拠もないことが言われ流布されるようになった。
「ソーシャル・ディスタンス」の言い出しっぺである、米国大統領首席医療顧問だったアンソニー・ファウチ氏も公の場で、「あれは何の根拠もなかった」と認める発言をしております。
全員がズッコケるところです(笑)
マスクも1時間起きに代えているならまだしも、1日中同じマスクをしているならば、雑菌の宝庫です。
夏場など、言うまでもない。
それだけでなく、慢性的な酸欠状態になるわけですから、免疫だってガタ落ちしたっておかしくはない。
普通に身体が弱るでしょう。
何度でも繰り返しますが、メディアの言う善悪を鵜呑みにせず、冷静に一歩引いて考えてみることは、とても大切です。
いまだに国が国民を守ってくれると思っている人もいるようですが、ハッキリ言って完全なる幻想ですから。
気分を害さないで欲しいところですm(__)m
善悪の話をするつもりが、少々脱線したように思います。
医療の話になると熱くなる。
ちょっと戻したい。
善玉●●や悪玉●●という言葉も、人間がつけた記号でしかない。
たとえば、本来、コレステロールに善も悪もないのです。
そもそも、コレステロールはあくまで「ひとつ」です。
コレステロール自体、細胞膜を形成したり、ホルモンの前駆物質であったり、神経伝達にも役割があります。
要は生きて行く上での様々な「材料」となっておりますから、必要不可欠なものです。
凄くザックリですが、末梢へ送られるコレステロールが「悪玉」と呼ばれ、末梢から中枢へ戻ってくるコレステロールが「善玉」と言われております。

「言われている」のです。
誰が言い出したの?我々人間です(笑)主に、専門家の方々でしょうか。
末梢の細胞にまでコレステロールが行き届いていないと、末梢へ送られるいわゆる悪玉コレステロール値が増えます。
当然ですよね。
だって、末梢の細胞に生きるための「材料(コレちゃん)」を補充しなければなりませんから。
末梢にコレステロールを届けようとしているために数値が上がるのです。
となると、末梢で消費される分、中枢に戻ってくるコレステロール値は減りますよね。
そうすると、「善玉コレステロール値が低い」と言われます。
総体的にコレステロール不足ですと、末梢の細胞に消費される分、中枢へ戻ってくるコレステロール値は低くなるのは当然ですよね。
現在は、コレステロール値が高い人の方が長生きをすることも解っておりますから、スタチン系のコレステロール低下剤を飲む意味がよく解らなくなっております。
それでも、「悪玉が高いから下げましょう」と、数値だけを見てものごとを判断するのは、やはりオカシイのです。
お医者さんの勉強不足か、金儲けに走っているのだと思いますが、まぁ、これも昔からある医療業界の闇ですよね(笑)
実際、コレステロールを下げると増えるのが、癌です。
これも私が学生の頃からあらゆる書籍で言われていることです。
この本で読んだのは、開業前の2006年頃かと思います。
他には腸の善玉菌と悪玉菌も、まぁいろいろと商売道具化されておりますね。
「腸に善玉が多い」=「健康」とした方が、「生きた菌が届く」とかいうキャッチコピーで商品が売れるのでしょうけれども、そもそも、菌が活きたまま届く必要などありませんし、本当に生きたまま腸に届いたら常在菌たちからすると迷惑でしかないでしょう(ふざけているのではなく)。
と、いろいろツッコミどころ満載な世の中ですが、「世の中にツッコミながら生きることが大切だ」と、先日の執行草舟先生の講演会でもお話がありました。
政治家やスポンサーにとって都合の良いことしか言わないのがテレビですから、ツッコミながら観ることは大切だと。
「俺なんて観る時は、ずっと文句を言って観ているよ(笑)」と、執行社長がおっしゃっておりました。
そうでないと、いつの間にかメディア情報に吞まれてしまうと。
何が善で、何が悪か。
二元論でいる限り、置かれている環境、社会的状況に応じて変わってしまいます。
戦争をすれば、人を●すことも善となり得てしまうことと同じことです。
善悪の二元論から脱するには、まず、「そもそも」を考えてみる。
そもそも、何故そうなっているのだろう?
そもそも、コレをすることで、誰が喜ぶのだろう??
そもそも、この状況下では誰が得をしているのだろう???
今日は話の流れでいつの間にか、「そもそも」がキーワードとなりました。
かく言う私も、まだまだ二元論で考えてしまいがちですが、迷ったらそもそもを問うように心掛けております。
明日は定休日で歯医者さんへ。
明日は一本歯を抜きます(T_T)くーッ
今夜は飲むしかない。
今日はこの辺でサラバ。